近年、IT業界におけるエンジニアの価値観に・・いや、日本国内におけるほぼ全ての労働人口の価値観に変化が起きているように思います。
価値観とは
価値観とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となる モノの見方を指しています。
フリーランスの手帳術(全10記事)
価値観の異変
今日、仕事で使ってるファイルサーバの入れ替えがありました。
いま私が携わるプロジェクトには総勢で27人います。設計書やらソースやらで作業ファイルの総容量は実に14GBを上回っている状態です。
最初からこの人数だったわけではないのですが、去年の11月以来、延べ人月にして約280~300人月程になります。以前、データセンタ持ち込み用としてアマゾンで買ったUSBメモリが16GBで2500円だったから、一人当たりの1年間の成果物が容量金額にして約90円とちょっと・・・
つまり人類の英知の結晶である一人当たりの成果量がメモリ量換算にして、街中にひっそり佇んでいるベンダーの缶コーヒーよりも価値が低いと判断されているのです!
このままでは、いずれ膨大な知識はタダで共有される時代が来るのでしょう。
なかなか感慨深いモノがありますね・・
知識の価値とは「量」から「質」へ
最近まで知識力こそが偉人のバロメータであったことを考えると、偉人と言われた人間達の知識量は果たして如何ほどなのだろうか・・」と疑問がわいてきます。
弁護士にしても学者にしても学校の先生にしてもしかり。
現役エンジニア一人当たりの一年間の成果が缶ジュース1本分の価格で収まってしまう量だとすれば、その倍、いや3倍と考えれば良いのでしょうか・・・
それでも300円・・
つまり、気づいている人はとっくに気づいていると思いますが、世の中の価値は「情報の量」ではなく「情報の質」にシフトしている、パラダイムシフトが起きています。
検索技術の向上で、貴重な情報がただで手に入る昨今、もはや知識量は意味のないモノになってしまったのです。
仮に1円程度の容量金額に収まってしまう情報ではあっても、他を持って換えがたい情報である限り、人はお金を払うのです。
技術の向上とともにモノの価値は「無」へ近づく
更に、もう一つの現実を見てみましょう!
以前、仕事の都合で有楽町駅近くの某喫茶店で時間を潰していた時のことです。経費の計算をしようと思い駅のキオスクで「カード型計算機」を315円で購入しました。
まぁ、スマフォの電卓でも良いのですが、私はあの画面をタッチしながら計算する時の心細さって言えばいいのか、きちんとボタンが押せている感が無いと言うか・・とにかくスマフォの計算結果が信頼できないのです。
「このコーヒー450円だったよなぁ・・」
味気のない水っぽいブレンドコーヒーをじっとみつめた・・
「さっき買った電卓315円だったよなぁ・・・」
手帳にすっぽり入るカード電卓・・・ 一昔前なら精密機械に分類されたカード電卓をじっとみつめた・・
どうしてもカード電卓を未来の自分と重ね合わせてしまいます。
そうです。半導体技術の出現によって、「技術が向上するほど価値は無に近づく」のです。
いま自分がプログラム言語に習熟していても、もしくはこれから覚える予定の人にとっても、それは近い将来、機械(オートメーション化、AI)に食われてしまうと言っても過言ではないでしょう。
つまり、オートメーション化が予想されるものに習熟しても無意味ということです。名人といわれた人たちは皆、軒並み機械にその座を奪われてしまいました。
付加価値という武器
例えばオリンピックの花形協議、短距離走にフォーカスしてみましょう。
家臣:「王様大変です。我が国の代表が世界記録を0.1秒縮めて優勝しました!」
王様:「おぉ!それはめでたい!早速宴の用意じゃ!」
王様:「でっ?」
家臣:「はっ?」
王様:「その縮めた0.1秒で何をするのじゃ?」
家臣:「・・・」
確かに生産性という観点からみれば、自動車で走った方が速いですし、荷物を積めるという付加価値が付きます。たかが0.1秒など誤差にすぎません。
このアスリートの業績は時間を縮めたことにあるのではなく、「人類で一番速い人」という目に見えない付加価値にあるのです。
IT業界の採用事情
IT技術の格差はますます広がっています。昔と違って単金の安い「若手エンジニア」を欲しがる企業はありません。
特に「エンジニア」を例にした場合、IT業界10年のキャリアを持つ「ベテランエンジニア」と2~3年のキャリアしかない「若手エンジニア」では、作業スピードに数週間~数か月の差があります。この差を金額に換算すると、とても無視できるレベルではありません。
つまり、少し前なら敬遠されがちだった50歳~60歳の高年齢エンジニアのキャリアが付加価値として捉えられているのです。
直近では、このような背景から「ベテランエンジニア」に数人の「若手エンジニア」をセットで売り込む案件が後を絶ちません。が、現実は厳しく、大抵の場合「ベテランエンジニア」のみ採用され、「若手エンジニア」は不採用となるケースが一般的です。
これからエンジニアを目指す若年層は、待っているだけでは職にはありつけません。積極的に挑戦し、失敗恐れずに経験を積み重ねていく行動力が求められます。
まとめ
現在では、昭和に端を発した「記憶的勉強法」などは、まったく意味の無いモノとなっています。そもそも学者レベルの知見がスマフォがあれば手に入ってしまう時代です。学歴だけがモノを言う時代は完全に過去のモノになりました。
また、技術の進化が向上するにしたがって、モノの価値は「無(ゼロ)」に近づいていくため、今後はロジカルシンキング(なぜ?👉論理👉答え)が重要になってきます。
例を挙げるとするならば、昔学校教育で詰め込まれた勉強がソレに該当します。過去、学業で優秀とされた人は、一人の例外もなく偉人の発見した公式を丸暗記して答えを導き出すことで一定の評価を得てきました。
しかし、ロジカルシンキングが台頭してきた昨今、この考え方はプログラムでいう所の関数に類似していることが分かります。つまり、関数にインプット情報を入力することで導き出された回答をもって答えを得ていたわけです。
「1+1=2」と同様に電卓に数値を入力して出てきた答えをもって優秀とされる時代は終焉を迎えようとしています。一説によれば、この仕組みは国が搾取される側の人口を一定数確保するために戦後編み出された具民家政策の一環とされています。
そろそろ目覚めましょう。
もはや「同じ知識を共有する一律平等」から「付加価値を基本とするオンリーワン」でなければ生き残れない時代が来ているのです。